トーマス・シェリング
経済学研究会




【補足:関連情報等】


法政大学経済学部同窓会と筆者の関係


【法政大学経済学部同窓会の設立】

 法政大学経済学部同窓会の設立は1992年です。1880年設立の大学、1920年設置の経済学部に比べると比較的新しい団体という事になります。
 これには、設立の経緯も関係します。法政大学には経済学部同窓会設立前から旧来からの卒業生団体があったのですが、1980年代には一部の卒業生による腐敗が批判される様になります。特に1989年に起きた卒業生団体幹部による口利き屋まがいの事件は大きな問題となり多くの卒業生を憤慨させるにいたりました。この時、こういった腐敗のない卒業生団体を目指して設立されたのが法政大学経済学部同窓会でした。
 当時、法政大学経済学部の教員を務めた村串仁三郎教授は、この会の設立に積極的に参画された重要な設立者の一人でした。
 この設立の経緯については、村串仁三郎名誉教授御自身が、2022年の法政大学経済学部同窓会創立30周年記念行事で上映された動画「法政大学経済学部同窓会30年の歩み」で詳しく述べられています。


 なお、動画の最初のシーンで使われている写真は『経済志林』第73巻第3号(村串仁三朗教授退職記念論文集)のものです。  随分前ですが、村串名誉教授が退職記念号を探していたのですが、どういう訳か私が一冊持っており、教授にお渡し、教授がスキャンしたもので、その後、教授が「俺は歳だから」といって返してくれました。更に、その後、ある資料館の方から「村串教授の退職記念号は欲しい」といわれ、教授に確認して寄贈。資料館からは丁重な御礼の手紙をいただきました。何でも、その資料館の前理事長が先生とは懇意であったとの事。  そして、村串名誉教授は、新たな『経済志林』を入手して、また「俺は歳だから」といって、他の研究資料と一緒に下さり、現在は私の手元にあります。


(2022年12月3日の式典が終わり、懐かしんで取り出しました。)



【筆者の参加経緯】

 私が、法政大学経済学部同窓会に積極的に参加したきっかけは、自分の向学のための調べものをしていて、ちょっと困った事があり、文献研究の大家であった村串名誉教授に問い合わせたのがきっかけでした。
 村串名誉教授とは2007年頃に同期の友人から法政大学経済学部同窓会の会員に誘われた際に一度お会いしたきりで、私自身、会員にはなったものの、特にこれといって参加といえる様な事はしていませんでしたので、唐突な事であったかと思いますが、それ以降、お付き合いさせていただく事となり2009年には常任幹事として承認され、以降2023年現在まで継続しています。
 教授との関係は平坦ではありませんでした。元々、教授は、学術研究を勧めて下さり沢山の貴重な研究資料を与えて下さり、ご自宅で研究者や教員の心得をご教授下さった事もありましたが、膨大な文献資料の収集を要する経済史、思想史の史的研究に自分は十分な資質を持っていないと考え、敬遠するようにもなっていました。
 更には、些細な事で大変険悪な仲となった事も二度あり 、一度目は、ある文学者の評価に関する事で争い、最終的にはWilliam G. Astonという英国の日本文学研究家の文献を以って反論し、一旦、思想史における対立は収まりました。しかしながら、二度目は、同窓会運営を巡る厳しい対立で、2020年の年末の事であって、私は当時の感染症流行の状況と教授の高齢を考えて、不吉な事ですが、この時に、はっきりと関係を明確にしておこうと思い、同窓会を退会する事を考えている旨と、教授からいただいた沢山の資料を譲渡したい旨について、不吉ではありますが、万が一の時の事も考えたものである旨とともに打診いたしました。(筆者には教授の学者としての後継者は務まらない、という認識があった。)
 私は、これまでなく関係が悪化していた事もあり、当然、教授は関係の精算を了承するだろうと考えておりましたが、返答は意外なもので「私が書いたものは、中村君のところに置いておいてください」というお返事をいただきました。
 最初は信じ難い事で当惑しましたが、「教授からもらった資料を手元に置くと、研究を引き継がなければならない」と思い悩み、教授からいただいた資料を読み返す内に、全く興味が湧かなかったものの、教授のご自宅に行った際に、受け取る事を強く勧められ、その気迫に負けて持ち帰った『賃労働理論の根本問題』という教授の著書が気に掛かり、この著に感じるものがあり、「私は、これを引き継ごう」と思い、「私が書いたものは、中村君のところに置いておいてください」という言葉に同意しました。


(『賃労働理論の根本問題』村串仁三郎教授著、1973年)


 正直なところ、教授は、私が他の卒業生団体に関する事柄にかまけている事を不愉快に感じられているとは思いましたが、教授は、やや寛大となって下さり2021年には、他団体に記事を寄稿しました。


(一般社団法人法政大学校友会に寄稿した記事)


 2022年には、他団体企画の経済学部同窓会ホームページへの掲載に関しても真っ先に賛成して下さり、「他団体にかまけている」とお考えだろうか、と思ったのは私の邪推か、すっかり疑いが晴れたものの様に思われました。


(法政大学神奈川県校友会企画の記事を法政大学経済学部同窓会ホームページに掲載)


 再開した年賀状の2023年分では、ご高齢ゆえの辛さをお訴えになられている部分もございました。いずれは、私達が教授の情熱を引き継いで行かなければならないと再確認した次第です。
 経済史、思想史の大家、国立公園研究の第一人者、そして経済学の理論家として知られる学者からいただいたもので、研究関係のものは貴重ですが、私に取ってもっとも有り難く感じるものは、教授が下さった法政大学経済学部同窓会のネクタイピンです。これを下さる時、「これはもう在庫がなく、先生も一つしかお持ちでないのでは」と聞いて、「もう、ネクタイをする事もないから」と、いただいたものです。他のものは、どちらかというと学者として下さったものですが、このネクタイピンは、「同窓会員としての後継者の証」の様に思えて、とても誇らしく感じます。
 いずれは、本当に同窓会を後継する一人とならなければならないと思いますが、もはや、教授の情熱を見てきた以上、後継していきたいと思います。
 この会の設立の経緯について、ある程度把握した際には、過去の不祥事を隠したり、有耶無耶にせずはっきりと断罪し、改善して行こうという理念について、やや抵抗もありましたが、今思えば現在の母校は、こういった形で自浄し確立されたものであり、やはり、経済学部同窓会のような、問題を先送りにしない清潔さを第一とした卒業生団体も必要なものだと、強く感じています。



(村串教授からいただいたネクタイピン)



(裏には「法政大学経済学部同窓会」と打刻されています。)



【年代別】



 2007年頃の飲み会での村串教授と筆者。この時聞いた古い資料の扱い方の知識が、後に法政大学経済学部同窓会に積極的に参加する事になるきっかけとなった。



 2010年1月30日に行われた役員会での筆者。※写真左側。



 2011年11月13日に行われた法政大学経済学部同窓会20周年記念式典では電子掲示物担当の実行委員を務めさせていただきました。



 2012年5月13日に東京六大学野球を観戦した後の写真です。写真右が筆者。左側は村串名誉教授。


中村寿徳>
 学生会から講演依頼があり、2013年9月14日の法政大学富士見坂校舎F301教室で簡単な講演をさせていただき、経済学部同窓会のホームページで報告しました。ホームページの古い記事は削除してしまっていますが、その時の写真です。



 2014年1月26日の「新年を祝う会」での場面。4月に勇退が決まっていた増田元大学総長の総長としての最後の新年を祝う会で、思い立って総長に「経済学部同窓会で写真を取らせて下さい」とお声がけしたもの。



 2015年10月24日に行われた村串名誉教授の「傘寿の会」では第3部の司会を務めさせていただきました。


中村寿徳>
 2016年4月24日の大学主催の卒業祝賀会では村串名誉教授の代理として学部同窓会への加入を呼び掛ける演説を行いました。



 2016年の末、Twitterの相互フォロアーだった経済学者(2005年ノーベル経済学賞受賞)のトーマス・C.・シェリングが死去。しばらくして、日本ではあまり知られていないものの、シェリングがPolitical Economyに与えた絶大な功績を知ってもらいたいと考えて会報を担当して下さっていた小倉先輩に相談し、会員短信に「シェリング教授を偲んで」という文を寄稿。小生の提出が遅く、掲載は2018年1月1日付けの『法政大学経済学部同窓会報』への掲載となってしまいました。(※筆者ブログ https://myself01.exblog.jp/29466777/に全文掲載。


法政大学経済学部同窓会
 2018年末、野球部OBで、私の様な門外漢にも色々と教えて下さった辻田会長が死去。写真は2018年3月24日の卒業祝賀会で演説をされているところ。ご本人が高齢を自覚されていたという事もあり、11月19日に東京六大学野球優勝パレードを見て、私は「会長が亡くなった16日より前、10月末までに6年ぶり優勝の報が届いて良かった」と思った次第。


中村寿徳所蔵
 2019年、村串名誉教授から『週刊ダイヤモンド』誌からの取材があったと聞いて、『週刊ダイヤモンド』誌を購入すると。村串名誉教授が「国立公園研究の第一人者」として紹介されておりました。「これは真っ当な評価」と思って経済学部同窓会ホームページで紹介しました。

中村寿徳所蔵
 2020年、法政大学経済学部は設立100周年を迎えました。私は村串名誉教授から依頼されて『法政大学経済学部100周年記念誌』に短い文を寄稿しました。[詳細]



 2021年、この年、法政大学総長に廣瀬克哉教授が就任。たまたま予定していた法政大学経済学部同窓会有志の東京六大学野球観戦の4月10日に始球式のために神宮球場にいらっしゃりました。私達と一緒に観戦のためにいらっしゃっていた大学総長と懇意の先輩が貴賓席にご案内下さり、大学総長と東京六大学野球連盟理事長にご挨拶させていただく事ができました。


法政大学経済学部同窓会
 2022年12月3日には、法政大学経済学部同窓会30年記念式典が実施されました。筆者は、当初事務局担当の実行委員でしたが、ある委員の問題発言があり、事務局担当を辞退したのですが、実行委員会の要望により技術顧問として留任し、無事、式典を成功させる事ができました。


法政大学経済学部同窓会
 2023年4月29日には法政大学経済学部同窓会として、私の知る限り初めての公式応援を実施しました。元々、東京六大学野球応援は村串名誉教授が不定期に呼び掛けていたものですが、これらは、有志企画で、筆者が再開したものも、この応援までは有志企画でした。
 応援直前には、妬みによる妨害と思える様な行為もあり、緊張しましたが、進んで手伝いを申し出て下さる方や心配して来て下さった方もおり、勇気付けられました。
 また、他団体からの装備品供与や広報支援は、これまでにない規模となりました。それだけでなく、さらに多くの方々から励ましのお言葉をいただきました。私達、法政大学経済学部同窓会の強い団結と他の方々との信頼関係によって問題は排除され、企画は成功しました。






2023年5月8日
記:中村寿徳







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