トーマス・シェリング
経済学研究会




【補足:関連情報等】


『法政大学経済学部100周年記念誌』への寄稿


【『法政大学経済学部100周年記念誌』の発行】

 法政大学経済学部は、2020年に設置100周年を迎えました。実のところ、私は、「法政大学経済学部100周年記念の事業として、トーマス・シェリングの熱心な信奉者で行経済学の第一人者として知られていたリチャード・セイラー(2017年ノーベル経済学賞受賞)を招致できないか」と教授等にうかがいを立てていましたが、やはりノーベル賞受賞者ともなると「簡単には招致できないのではないか」という意見が多く、断念しました。
 ただ、別な方が『法政大学経済学部100周年記念誌』を発行する準備をされており、私は、これには関わっていなかったのですが、村串名誉教授より寄稿の依頼があり、簡単な文を村串名誉教授にお送りしましたが、「学者が読むのではなく、一般の卒業生も読むのだから(もっと平易に短く)」と、ご指摘を受けて書き直したものを、もう一度送り直しました。下記に引用しているのは二度目のもので、ほぼ、このまま『法政大学経済学部100周年記念誌』に掲載されました。




【『法政大学経済学部100周年記念誌』への寄稿文】


これからの経済学に期待するもの

 江戸時代の文学者本居宣長は、紀伊徳川家当主徳川治宝宛の書簡で「経済」について論じています。内容は、貨幣に関するものや、軍縮による財政再建などですが、富める者は貧しい者より富を得やすいとして、格差の拡大を危惧しています。対策は、富裕層が率先して富を分配すべしと、文学者らしく人の良心に期待するものとなってはいるものの、江戸時代の文学者がこういった着眼点を持っていたという事は注目に値するものだと考えます。
 その後、後に明治維新と呼ばれる変革があり、東京への奠都があり、近代化と言われた諸政策や日清戦争、日露戦争と、莫大な支出に追われ続けた日本では経済学に期待する面は少なからずあったと思われ、福澤諭吉が“PoliticalEconomy”に、従来日本で使われて来た「経済」という言葉をあて、早くから講義を始めたのも不思議ではないと思います。
 そして、法政大学に経済学部が創設されますが、この時代は、狭い条件での理論となってしまった古典派経済学に対する形でマルクス経済学が支持を集めていく過渡期の時代であったのだろうと考えます。
 次に、経済学に取って重要な転機となったのは冷戦の終結だと思います。
ベルリンの壁が崩されるのをテレビで見ましたが、この時、一部の人達は「世界が一つになる時代が来た」と狂喜し、例えば資本主義と呼ばれる様な一つの価値観が世界を統一するかのような、その様な論調が多々見受けられました。
 果たして、冷戦終結で資本主義は世界を統一したのか。私には、そうは思えません。既に70年代初頭に、経済学者のトーマス・シェリングが、人間は単純に経済学的合理性だけで動くのではなく、その他の人間的な要因によって「自分達の社会を持つ為に」行動する事を予言していました。実際に、世界は、個性を基礎とした多様化の方向に向かっているように見えます。
 多様化する社会は捉え難く難解ですが、逆に、一つ考えていただきたい事は、「経済学は役に立たないと仰る人もいますが、では、経済学なしにこの様な社会の変化を研究する方法があるだろうか」という点です。

中村寿徳



(以上)










2023年5月21日
記:中村寿徳







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