トーマス・シェリング
経済学研究会




【会員短信】

「法政大学理系コンソーシアム」 〜 経済学的観点からも注目すべき試み 〜


 今から50年以上前の1971年に、トーマス・シェリングが“Dynamic Models of Segregation” ¹ と題した論文を発表し、人々の様々な個性が棲み分けを生じるという現象を経済学的な手法を用いて説明して以来、「個性」というものは、経済学(政治経済学、政治学)の世界で、注目すべき要素としてより認識されるようになり、後の行動経済学等の基礎となった事をご存知の方も多いと思います。

 「個性の時代」と呼ばれるようになって久しい感がありますが、現実に科学的な観点から注目できる個性を重視した事業というのは、意外に、さほど多くは見かけないようにも思います。²

 そういった個性、例えば、個々人の学ぶべき分野や、就職などの進路、また、地域の持つ文化や風土によって育まれる特性などにきめ細かく注目し、教育の分野に反映させようとする試みが、私に取っては身近なところという事になる(母校)法政大学で準備されつつあります。「法政大学理系コンソーシアム」という事業です。

(画像は、法政大学理系コンソーシアムのパンフレットより。)


 「法政大学理系コンソーシアム」は、世界的に注目されているロボット工学者の伊藤教授が準備委員長を務められ、理系学部の教職員の方々のみならず、卒業生も参加して準備が進められています。この事業は、地方自治体との連携を密なものとして、地方出身の学生達が彼等自身にあった分野を学び、彼等自身にあった進路に進む事ができるようにするだけでなく、求人を行う機関や企業にも適切な情報を提供して適切な人材を得る一助としようとするもので、特に「U・Iターン就職」(故郷で就職したい人が、東京で学んで故郷で就職する事。)と呼ばれるものに関する最適化が、一つの重要な目標となっているようです。

(画像は、法政大学Webサイト [ https://www.hosei.ac.jp/riko/shokai/message/ ] からのスクリーンショット。)



 私は、この分野の専門家ではありませんので、この試みが、極めて斬新なものか、そうでもないのか、といった事柄を断定する事はできませんが、主観としては、「地方」ちいうものを「典型的な地方」を基準に均一なものとして捉えるのではなく、個々の地方(自治体、各種機関、企業)のそれぞれの実情を懇親や共同研究を交えて、個々に捉えて個々に最適化するという事を大学教育水準で実現させようという試みは、ありそうに見えて、実は、そう沢山はないように思えます。

 私も地方出身で、関西でしたので、東京といえば東京大学と国学院大学の卒業生から話を聞ける程度で、その他の東京の大学は全く馴染みのないものでした。地方出身者の受け入れ体制を整備しても高等学校や地域社会との接点がなければ、なかなか、地方出身者に取っての「学校の魅力」には繋がらないように思えます。逆にいえば、その点を上手く対処すれば「学校の魅力」を大幅に高める事になると思いますし、学校が不足している地域の立場からも、一般論としての「地方」ではなく、多少でも自分達の実際の県や道といった地域の若者の事を考えてくれている大学があるというのは、実際、地方での暮らしを経験すればこの上なく有り難い事だと思います。これは多様化をしなければならない、という点で整備を求められる部分は沢山あると思います。しかしながら、個性と多様化の時代への適合という意味では重要な試みであるとも思います。

 運営が開始されるのは2023年9月1日からとの事で、まだ、経済学的に注目すべき事例等はご報告できませんが、注目して行きたいと思っています。また、運営が開始された後も、随時、自治体様や研究機関、企業様の加入は募集されるようですので、ご関心のございます方は、下記アドレスの資料を参照願います。

 【理系コンソーシアムの資料(法政大学)】  https://www.k.hosei.ac.jp/~ito/consortium.html


 ¹ The Journal of Mathematical Sociology. Informa UK Limited. 1 (2): 143–186.

 ² 「個性の時代」というのは、単純な理想論や美意識の問題ではなく、経済学的合理性があります。これは簡単な実験によって説明する事ができます。
 例えば、αという教育が将来1.1の利益に繋がるがβという教育は0.9の利益にしかならない人達をAとして、逆にαが0.9、βが1.1の人達をBとして、各50名がいると想定します。ここで、20名以上に教育を行う場合の平均費用が、は10,000円、βは12,000円であったとすると、当然、予算が50万円であった場合は全てAにαという教育を施すのが合理的です。結果、全体で55の利益を得る事ができます。当然、予算が60万円等になると、Bにβの教育を施すという選択肢が生まれますが、ある程度の人数にならないと平均費用が高くなってしまう場合も考えられます。例えば、20名以下にβの教育を施す平均費用が15,000円であったならば、50名のAにαという教育を施した残りの100,000円で6名のBにβ教育を施して6.6の利益を得るより10名のBにα教育を施して9の利益を得た方が合理的という事になります。
 これが80万円となると、β教育の平均費用も12,000円となり、30名のBにα教育を行って27の利益を得るよりも、25名のBにβ教育を行って27.5の利益を得る方が合理的という事になります。この段階ではまだ、「機会の平等」という倫理的問題があり、即座に「総利益が大きいから」と言って、αとβの教育を併用する事ができるかどうかは、経済学のみでは決定できない問題ですが、予算が不十分であれば、低価格の教育をできるだけ広く行い、予算が十分であれば、若干高額な教育も併用する事が有効であるのは、直感的にも理解できる部分です。また、110万円の予算が確保できたならば、50名のAにα教育、50名のBにβ教育を施すのが合理的であり、倫理的にも問題がない、という事になります。
 現実の問題として捉えると、かつてのように学校も不足しており、できるだけ多くの学生に教育の機会を与える必要があった時代は、均一に低価格の教育を行う事が合理的であったのですが、少子化などの問題もあり、むしろ供給が過剰となる危惧すら考えられる時代になると、個性に応じた教育が合理的となります。これは、少子化という特殊な状況だけの話ではなく、一般的に経済というのは成長するものと考えられています。私は、2018年にノーベル賞を受賞したP. Romerの“Endogenous Technological Change”(1990, Journal of Political Economy, vol. 98, No. 5, part 2)には否定的ですが(数学的モデルとして単純過ぎて非現実的と考える。)、社会経済学でいうところの「資本の有機的構成の高度化」(独: organische Zusammensetzung des Kapitals)や、近代経済学でよく扱われるソロ―・モデルからの考察からも、経済の成長は供給を増大させ、急激な人口増加等がない限り、次第に不足は改善される事は分かります。結果、「マスプロダクションの時代」は「個性の時代」へと移り変わると考えられます。
 教育に関してもそうで、実際には学校等は社会全体で見れば投資の一環であるので、生産性の向上に伴って、予算を拡大させられるべきものです。




2023年8月15日 
トーマス・シェリング経済学研究会:中村寿徳 




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